※この記事は2022年に書いたものを、2026年4月にリライトしました。
今日は一人で脳内経営会議をしながら、昔のことを書きます。
2000年頃の話です。わたしは東京の町田にあるパルテック町田店というパソコンパーツショップで働いていました。3階のパーツフロアを担当していました。そのフロア単体で、1か月の売り上げが6,000万円を超える月がありました。今でもよく覚えています。
朝4時出社、退社は0時。365日休みなし
当時の1日のスケジュールを書きます。
朝4時に出社します。最初の仕事はパルテックダイレクトという通販部門の注文対応です。お客様が朝起きる前に納期の回答をメールで返信しておく。これが4時出社の理由です。6時頃にタバコを吸いながら一息ついて、そこから店舗の準備を始めます。
HDDのラッピング、タグ付け、POPの書き直し、レイアウトの見直し、売れそうな商品をすぐ手渡せるように陳列を整える。開店前にすべて終わらせます。開店後は接客・販売・在庫確認・仕入れ対応を同時並行でこなします。閉店は20時。そこから片付けと仕入れの確認と在庫チェックが続いて、退社は0時頃です。
寮は店舗から徒歩10分の場所にありました。帰り道にいつもの泥水のようなとんこつラーメンを出すラーメン屋か焼きそば屋で腹を満たして、寮に戻ります。プレステでゲームをしながら寝落ちして、また4時に起きる。これを365日繰り返しました。
今の感覚で言えばブラックです。残業代はありませんでした。休日も当たり前のように出勤していました。でも不思議なことに、仕事が嫌だと思ったことが一度もありませんでした。好きで来ていたからです。良い上司と同僚に恵まれていたからです。売り場にいる方が、新宿で遊ぶより楽しかったのです。
自作PCブームの熱気は異常でした
当時の自作PCブームを知らない方に説明しておきます。2000年前後は自作PCが爆発的に広まった時代です。パソコンを自分で部品から組み立てる文化が生まれ、秋葉原のパーツショップに人が殺到していました。
パルテック町田店のモットーは「アキバに行かなくても買える」でした。当時の自作ユーザーは最新パーツの情報をAkiba PC Hotlineというウェブサイトで毎週チェックしていました。そのサイトに掲載される前に店頭に並べろ、というのが店の方針でした。情報が出るより先にパーツを用意する。これを徹底しました。
狭い店内に常時30人くらいのお客様が来店していました。2万・3万もするHDDが飛ぶように売れていました。今の感覚だと高額ですが、当時はそれが当たり前でした。パーツフロア単体で月6,000万円を売り上げていた月があります。ただし利益率は5%以下です。週単位で仕入れ値が下がるという鬼のような業界でした。売上はでかくても儲けは薄い。それがパーツ業界の現実でした。
CPUは386・486・Cyrix・K5・SlotA・Celeron300A。グラボはVoodoo・Matrox・No.9・RivaTNT。毎週新製品が出て、毎週仕入れ値が変わる。昨日まで売れていたものが今日から型落ちになる。この速度感の中で仕入れと販売を回していました。
店頭販売・通販・仕入れ・店舗管理を同時にこなしていた
当時担当していた業務は4つあります。店頭販売、パルテックダイレクトの通販業務、パーツの仕入れ業務、店舗管理業務です。これを一人でこなしていました。
通販業務は朝4時から始まります。前日の夜に入った注文を確認して、在庫の有無と納期を確認して、朝起きてメールを開いたお客様の受信ボックスに回答が届いている状態を作る。これが当時の通販対応の基準でした。
仕入れは問屋や代理店との交渉です。どのパーツがいつ入荷するか、価格はいくらか、競合店より早く手に入れられるかどうか。この情報収集と交渉が仕入れ担当の仕事です。高速電脳に偵察に行きます、と言って秋葉原に出向くのも仕事のうちでした。大阪の日本橋5丁目に店舗があったので、ワンズ(1’s)にも偵察に行きました。競合他社の動向を把握することが仕入れの精度を上げることにつながっていました。
オンラインショップの管理も担当していました。当時はYahooの担当者やヤングマガジンの担当者と直接メールでやり取りして相互リンクを貼ったりしていました。今のSNSのような感覚です。0時に寮に帰ってからも、パーツの検証をしたり、Linuxを覚えようとしたり、ホームページを更新したりして、寝るのは2時頃でした。
アキバで出会っためちゃくちゃ詳しいアルバイトの女の子
当時のアキバには、どう見ても高校生のアルバイトの女の子が、わたしよりはるかに詳しいというケースが普通にありました。初めてそういう方に出会ったとき、衝撃を受けました。20代の若者だったわたしは素直に勉強させてもらいました。しかも可愛かった。笑
20年以上経った今でもその衝撃を覚えています。あの経験があるから、パソコンのことに関してわたしはとても謙虚でいられます。自分より詳しい人間は必ずいる。それを肌で知っているからです。
パルテック町田店はその後倒産しました
パルテック町田店は倒産しました。当時のパーツ系ショップはほぼ全滅しています。利益率5%以下の薄利多売で、仕入れ値が週単位で下がり続ける業界は、規模が小さい店舗から順番に脱落していきました。
その中で今も元気に運営されているワンズ(1’s)は本当にすごいと思います。勝手に同士だと思っています。あの時代を生き残っているということは、それだけの経営判断と現場力があったということです。
あの経験があるから今のわたしがあります
3年間、365日休みなしで働いた経験が今のわたしの土台です。店頭販売・通販・仕入れ・店舗管理の4つを同時にこなした経験は、一人でパソコン修理店を16年以上続けてきた今も生きています。
あの時代に自作PCの現場にいた人間が、今も店頭で仕事をしているケースは少ないと思います。少なくとも熊本にはいないと思っています。月6,000万円を売り上げたパーツフロアで、朝4時から0時まで働いた経験を持ちながら、今も熊本市でパソコン修理店をやっている人間はわたしだけでしょう。
パソコン本舗は専門性が強い小さな店です。きめ細かに対応できる専門店を目指しています。あの時代の現場で培った経験と技術を、今のお客様のために使い続けることが、わたしが仕事を続ける理由のひとつです。


