※この記事は2025年に書いたものを、2026年5月にリライトしました。
西友がトライアルに買収されたというニュースを見ました。小売業界の話ですが、これを見ながらパソコン業界の20年以上を思い出していました。栄えていたものが消えていく。業界は違っても、構造は同じです。
ファミコンショップがパソコンを売り始めた頃
わたしが最初に就職したのは、福岡のファミコンショップがPC-9801のパソコン販売に軌道を乗せた頃です。ファミコンを売っていた店がパソコンを売り始める。今から考えると不思議な話ですが、当時はそういう時代の流れでした。ファミコンショップ自体は就職前の話なので聞いた話ですが、その頃の空気は十分に伝わってきました。
その頃、ソフトバンクはパソコンソフトの卸業者でした。
そうです。あの孫正義です。
当時のソフトバンクは、パソコンショップにソフトを卸してくれる業者のひとつでした。わたしの上司とソフトバンクの間で「うちのソフトを降ろす」「降ろさない」という取引トラブルがあったそうです。
低レベルな話です。笑
でも当時はそういうレベルの話でした。その孫正義が今や日本を代表する経営者になっている。世の中、本当に何があるかわかりません。
9801からWindowsへの移行期。飛ぶように売れた時代
Windows 95が出た頃から、パソコンが本当に飛ぶように売れました。それまでのPC-9801の時代とは空気が変わった。パソコンが一般家庭に入り込んでいく瞬間を、現場で見ていました。
DSTN液晶の東芝ノートが売れていました。今から考えると信じられないほど見にくい液晶でしたが、ノートパソコンが持ち歩けるという事実だけで売れた時代です。若い女性はみんなVAIOを買っていました。あのデザインの破壊力は今でも覚えています。パソコンをファッションとして選ぶ文化が生まれた瞬間でした。
その頃、ポケベルが携帯電話に変わっていきました。地元九州ではセルラー(現在のau)が主流でした。東京に出張で行ったとき、町田でみんなドコモを使っていることに気づいて驚いた記憶があります。地域によってキャリアが違う時代でした。
Bluetoothという技術が出てきたとき、わたしは革命だと思いました。すれ違い通信ができると聞いて、Bluetoothをオンにしたガラケーを片手に町田駅をうろうろしたことがあります。今でも恥ずかしい思い出です。誰ともすれ違い通信はできませんでした。笑
秋葉原・日本橋の黄金時代。書ききれない熱量
2000年前後の秋葉原と日本橋は、言葉で説明するのが難しいくらいの熱量がありました。今のアキバとは別の場所と言っても過言ではない。
高速電脳は忘れられません。パーツを買うためにあの店に並んだ経験がある人は、きっと同世代の仲間です。ツクモEXは今でいうとピカピカの存在でした。品揃えも接客も、当時のアキバを代表するショップでした。
日本橋はワンズが今でも健在です。当時から品揃えがずば抜けていた。今も元気なのは当然だと思っています。良いものは残る。シンプルな話です。
あの頃の秋葉原を一言で表すなら、「パーツを買いに行く場所」ではなく「次の時代を見に行く場所」でした。新しいCPUが出れば翌週には売り場に並んでいる。グラフィックボードの性能が倍になる周期が早すぎて、買ったその日に型落ちになる感覚がありました。楽しかったです。
ブラウン管から液晶へ。海外メーカーが隅っこにいた時代
モニターの主役はイイヤマとナナオのブラウン管でした。重くて場所を取るのに、みんなこれを使っていた。発色が綺麗だったし、当時は液晶の方が見劣りするという感覚がありました。
LGとサムスンの液晶モニターは、最初は陳列棚の隅っこにありました。価格が安い。でも誰が買うの?という雰囲気でした。マニアの方が物珍しさで買っていく感じです。それが今や市場の主流になっています。誰がこの流れを予想できたでしょうか。
当時、中国人や韓国人のお客様が来店することがありましたが、こっそり静かに来られていました。今は声の大きい中国人という印象があります。これは国力が自信に表れているのだと思っています。良い意味でも悪い意味でも、国の勢いというのは人の振る舞いに出ます。
夜逃げ状態で店が閉まった日
自作PC系のショップが倒産していきました。仕入先が倒産したことも大きかったです。取引先がある日突然消えるというのは、現場にいないとわからないリアルさがあります。
わたしが福岡店の店長をしていたとき、告知なしで突然カーテンを閉めることになりました。倒産です。閉店の日、在庫をポケットに入れて帰ったアルバイトがいたことは、時効だから告白しておきます。笑
その後、中古PCショップに転職しました。業態が変わっても、パソコンを売り続けていました。
GoogleとNvidiaが伸びることは、当時から見えていた
2000年頃から、GoogleとNvidiaが躍進することはわたしには当然のように見えていました。Googleの検索精度は圧倒的でした。他の検索エンジンとは別物でした。GeForceもわたしには一択の存在でした。Amazonも同じです。これが伸びるのは当たり前だという感覚がありました。
でも株を買っていません。
わかっているのに動けない。これが人間の限界です。笑
逆に、ホリエモンが推していたLinuxはこけました。わたしもLinuxがWindowsを超えるかもしれないと期待していた時期があります。でもUbuntuどまりで、一般に普及するところまでは行きませんでした。今でもLinuxは玄人の道具です。見える部分と見えない部分がある。予測というのは難しいものです。
なぜ生き残っているのか、今でもわからない
大手のPC専門店が次々と消えていく中で、わたしは熊本で一人修理店を続けています。なぜ生き残っているのか、正直今でもわかりません。
ひとつ言えるとすれば、時代を読む力と自分で考える力だと思っています。流行っているからやる、大手がやっているからやる、という判断をしてきていません。目の前のお客様が何に困っているかだけを考えてきました。
ショップが倒産していったのは、時代の変化に対応できなかったからです。でも時代の変化を読むだけでも足りない。読んだ上で、自分が何をすべきかを考える力が必要です。
孫正義が小さなソフト卸業者だった頃からこの業界にいます。高速電脳が閉まった日も、日本橋のショップが一軒ずつ消えていった日も、現場で見てきました。その経験が今の仕事の土台になっています。
ちゃんとお客様のことを考えること。結局これだけだと思っています。難しいことは何もありません。でもこれができない会社や店が、消えていきました。
パソコンの修理・相談はパソコン本舗にご相談ください。


