自作系パーツショップで働いていた頃の話

IWill君つぶやき

今日は、一人脳内経営会議中です。

当たり前ですが、当店のような実質一人で運営している小さなお店の場合、きめ細かに対応ができる専門的なお店がいいと思うのです。

私の強みは、自作パソコン業界の黎明期を経験してきたことです。

自作パーツのピークは、自分が思うにはHDDやグラボ、マザーなどの単体販売、だけでビルのワンフロアだけで1ヶ月で6000万も売り上げていた2000年頃だと思うのですが、(売上はでかいけど利益は5%以下、週単位で仕入れ値も下がるという鬼モード)

その当時、私は東京の町田のパソコンパーツショップで働いていて、アキバに行かなくても町田でパーツが買える!という感じで営業してて、3Fのパーツフロアで働いていました。店頭販売のほか、パーツの仕入れと、オンラインショップの管理も同時に担当していました。

東京だと高速電脳が好きで、仕入れ担当やフロア担当として、高速電脳に偵察に行ってきます!と理由つけて、よく通っていました。当時働いていた会社は、大阪の日本橋5丁目にも店舗があったので、1’s(ワンズ)にはよく偵察に行きました。当時のパーツ系ショップはほぼ全滅しましたが、2022年現在もワンズさんは元気に運営されているのは、勝手に同士と思っている私はとても嬉しいですね。

サムネイルは町田のお店でI Will君(自作系メーカーさんのマスコット)の着ぐるみで頑張ってた1999年頃の写真

私もパソコンの組立が好きだったので、休日でも本当に会社から離れられなくて、休みだろうが毎朝5時には店舗に出勤、夜中の23時ころまで仕事して、0時に帰宅、プレステでゲームをしながら寝落ちするような生活で365日過ごしていました。喜んで休みも出勤、残業代なんて当然無し。今思えば社長は都合がいい便利な社員がいて助かるわーって思っていたでしょうね。でも好きで休日出勤していたし、良い上司や同僚にも恵まれていたので、仕事が嫌とか、社長最悪、会社行きたくないという感情はまったくありませんでした。

町田駅のそばに店舗はあったし、住んでいた会社寮も徒歩10分の場所にあったので、その気になれば新宿まで電車一本でさっと行って遊ぶことも可能でしたが、ホント、遊びよりも売り場にいるほうが楽しくてですね。

0時ころ家に帰っても、家で仕事後に販売しているパーツを趣味として検証したり、その頃どうしてもLinuxが覚えたかったり、ホームページを作るのが楽しく、ネットは当時はYahooの担当やヤングマガジン(ヤンマガ)の担当さんと相互リンクか何かで直接メールでやり取りしたりなど、(いまでいうTwitterみたいな感じ)書けないほど色々やることがあって、そんな感じで帰ってもご飯も風呂も入らず、仕事をしている感じで、寝るのは2時ころ?で5時出社してたから、毎日20時間くらいは働いていたと思います。

3年くらいこのような生活を続けました。アキバにはよく行きましたが、新宿などで遊んだことは2−3回あったかな?という感じです。部屋はめちゃくちゃ汚かったし、タバコばっかり吸っていたので、東京の美味しいご飯を食べた記憶もなく、覚えているのは町田にあった泥水のようなとんこつラーメンを出すラーメン屋(笑)くらいです。お好み屋も覚えてるかな。服は3年間毎日制服を着ていた気がする・・もう、パソコン以外は酷いものです笑

過去、このような経験を過ごしたおかげで(修行?)現在はパソコン関係のお店を創業して社長になり、熊本市にパソコン関係のお店を構え、10年以上継続して運営ができているのかな、と思います。

当時のアキバなんて、私より年下の、どうみても高校生のバイトの女の子が、私より全然詳しかったり、当時はたくさんのお客様と業者、メーカー、問屋色々、お客様と出会いがありました。その頃に出会った人は私よりパソコンの知識は詳しい方ばかりで、当時20代の若者だった私は素直に勉強させていただいたと思います。

現在は私もおじさんになり、いろいろと偉そうな事を言う立場になりましたが、最初にアキバで出会った、めちゃくちゃ詳しいアルバイトの女の子との出会いの衝撃が、20年経った今でも心に残ってて(しかも可愛かった笑)、パソコンの事に関してはとても謙虚です(笑)

当時から現在まで、現場で培った経験や技術を活かした専門性が強い、お客様のお役に立てるパソコン関係のお店を目指したいかなと、今日は書きました。